「ジョーブラックをよろしく」映画評

Meet Joe Black(ジョー・ブラックをよろしく)- Heaven – DJ Sammy Yanou

以下、映画評というか、感じたこと 

恐らく大抵の人間は、人を見た目で判断し、見た目で判断されるのだろう。特に若い時はそうだろう。

しかし、年齢を重ね、見た目は変わっていく。例えば芸能人。

若い頃はあんなに美貌だったのに、、、今は別人だ。と騒がれる。昔からのファンは絶望する。

 

人は齢を重ねていくことで、全てを曝け出ししまう。だから、逆説的だが、中年になっても美しい人は、いい顔をしている人は、それなりにシッカリと生きてきた人といえる。

整形美人は齢とともにその美貌は破壊されていく。顔にメスを入れれば、どこかで寿命が来るだろう。考えてみれば、当然の帰結だ。彼らは、若い時の代償だと割り切れない辛さを抱えていきることになるだろう。それが表層しか生きられない人間の宿命だ。

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そういえば、昔、美人だった飲み屋のママが言っていた。私ね、こうして段々と歳をとり、50歳になり60歳になり、そして65歳。もう、誰からも見向きもされなくなった。辛いわ。飲みながら泣いていた。その情景が突然僕の脳裏に顕れた。

僕が30歳の頃の出来事だ。その時、ママさんと話している時には、そんなものかなぁーと思っていた。でも、最近では、そうでもないのかもしれいないと、感じる時も多々あった。それは、内的なものが開花されていないからだ。或いは内的なものを美しく育ててこなかったからではないだろうか。と、そんな風に感じていた。

しかし、この映画を観ながら、、、やっぱり、、、生き方は顔に顕れていくるものだなぁー、確信に近いものを感じるようになった。そんな映画でないのに、、何故か、そのような思考に憑りつかれていた。

 

強欲な人間は強欲な雰囲気にとらわれていく。優しい中高年は優しい雰囲気を醸し出していく。自己中心的な人間はその狡さが顔に出いている。自分の人生を自分の哲学をもって生きてこなかった人間には魅力がない。

この映画を観終えた後、やはり、強く感じてきたのは、そのことだった。

「主人公のブラピとヒロインのクレア・フォラーニが」の画像検索結果

映画評だから、映画へ戻る。

映画の感想を言えば、

最後のシーンが問題なのである。

彼女が愛したのは、誰か。死神か?それとも、あの青年か?

死神という表現は間違いで、あれは”神”である。役割が”死”を扱うだけだから、死神なのだ。その無垢な”神”の精神と美貌な青年の肉体、これにヒロインは惚れたのだ。だが、彼女が本当に愛してしまったのは美貌か?それとも精神(心)か?

そこを表現するシーンこそ秀逸だ。

更に、冒頭の出会いのシーンも素晴らしい。終幕までのプロセスも、それなりに良く出来ている。だが、そのように見えるのは、冒頭の出逢いのザワザワする恋の気配だろう。あのシーンがなかったら、この映画に哲学は宿らなかっただろう。

 

どのような落ちを付けるか、終幕に近づくにれ、いろいろ推測していたが、、、、多少無理があったが、、、、まあ、あそこまでだろうなぁ。出来れば、続きを小説か何かで読んでみたい。だが、そうなると哲学的な物語へと変容してまうだろう。真面目に考えると哲学になる。

だから、観た者が己の力で妄想するしかない。

 

映画の話に感想に戻る。

願わくば、これからの物語(この映画の続き)は、あの最後のシーンを、、、、、、、ネタバレになるので、やはり、書かないことにした。

 

とにかく、主人公のブラピとヒロインのクレア・フォーラニが美しい。特にブラピの無邪気で美しい顔が彼の演技を魅惑的にしている。

それだけでも観る価値はある。

クレア・フォーラニもいい感じに美しい。そこにも観る価値がある。

ジョー・ブラックをよろしく [Blu-ray]
ブラッド・ピット,アンソニー・ホプキンス,クレア・フォーラニ
ジェネオン・ユニバーサル
 
評価;☆☆☆☆
 
 
でも、そんなことより、人間の持つ”顔”の正体について、前述のように考え、(僕にとっては)そのことを深堀していきたくなるような作品になってしまった。
 
人は与えられた”顔”と”肉体”をもって生まれてくる。だが、”時”を使うことによって、どのようにでも改造できる可能性があるのかもしれない。
 
そのようなことを最近経験した。それが妙に僕の気持ちを揺らし始めた。
 
 
世の中には、いぶし銀のよう男がいる。特に職人の世界に多い。彼らは好い表情をしている。生き様に筋が通っているからだ。頑固だが渋いのだ。だから、男前に見えるのだ。
 
或いは、時々、電車の中で、優しいそうな中年女性を目にする。そんな女性はスタイルも良い。造形はそれほどの美人ではないが、仕草や雰囲気が美しい。見とれてしまう。そういう女性こそ本当の美人だと思う。
 
先日、70歳を超えた人と飲んだ。彼は、誰でも知っている会社の社長だった。ニュースで何度も話題になった人だ。雲の上の人、、と思っていたが、何かの縁で、3時間ぐらい飲んだ。2週間後、再び、ランチに誘われた。
 
傍にいるだけで優しさ、強さ、温かさを与えてくれる男だ。もう引退されているが、いい顔をしている。仕事での苦闘など全ての困難を乗り越えてきた顔がほほ笑むとき、僕は嬉しくなった。
 
人は与えられた”顔”と”肉体”をもって生まれる。だが”時”の使い方でどのようにでも自己改造できる生き物だ。自分の顔には責任が宿る。
 
自分の人生だ。いい顔をした人間として生きていきたい。
 
この映画は、美しい心をもった人間の話を神が望んだのかもしれない。そのためにも、ブラピとクレア・フォーラニが必要だった訳だ。そう考えると合点がいく。
 
ブラピとクレア・フォーラニの表情が優しいのである。優しい表情こそ、人を美しく見せる。
 
だから、優しさは善である。美しさの本質は優しさである。
 
そして、優しさを醸し出すのは、内面から滲み出るものである。時間をかけて優しく生きていくことで、人は美しくなれる。

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