『イーダ』


映画は自ずと他の映画の記憶を呼び起こし、結びつき合おうとする。1962年のポーランドを舞台にした『イーダ』は端正なモノクロームが同郷の巨匠アンジェイ・ワイダを彷彿とさせるが、それは決してルックスに限った話ではない。修道女を目指す少女アンナがイーダとしてのルーツを辿るこの物語は少女から女へ、俗から聖へと変わるイニシエーションを描いているだけでなく、その根底に戦争と社会主義によって癒し難い傷を負った国家の歴史と、今なおファシズムへ傾倒しようとする世界への批評というワイダ同様の強い反骨精神が存在する。

ユニークなのは決して社会派に終始しない監督パヴェウ・パブリコフスキの個性だ。1シーン1カットにも近い禁欲的で抑制された演出は観客に容易く感傷を抱かせようとしない。戦後、社会主義政権の下で自分を殺し、過去を封印してきた叔母ヴァンダが絶望のあまり命を断つシーンはあまりにも素っ気なく、ショッキングだ。
『イーダ』が忘れ難いのはまるでヴィクトル・エリセ映画のような“少女映画”としての貞淑なまでの美しさである。出世作『マイ・サマー・オブ・ラブ』同様、パブリコフスキは刻々と移り変わる少女期に目を凝らす。神の存在を疑ったイーダが髪をほどき、修道服を脱ぎ捨て、一時だけ俗世へと舞い降りる。初体験のベッドで夢想する結婚、家庭、穏やかな生活…果たしてそこに彼女の幸せはあるのだろうか?終幕、無言のイーダの内に芽生える感情をパブリコフスキは見逃さない。

最後にイーダの取った行動は自分の人生を選んだポジティブな決断であると同時に、自由に価値を見出せず、それを得る事も叶わなかったあの時代のポーランドの悲哀そのものでもあろう。イーダが神の道を選ぶ事はまた1つ、ユダヤの血族が潰えた事を指す。かの地にはこうして語られることもなく、声を失した多くの魂があのうら寂しい森の冷たい土の下に眠っているのではないだろうか。

イーダ役アガタ・チェシブホスカは町中でスカウトされた素人で、今後も女優業を続けるつもりはないと言う。『ミツバチのささやき』のアナ・トレントの如く、終生の1本として映画ファンはその輝きをつぎなる映画記憶へと語り継ぐ事だろう。
『イーダ』13・ポーランド
監督 パヴェウ・パブリコフスキ
出演 アガタ・チェシブホスカ、アガタ・クレシャ
 

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