映画『記憶にございません!』 ……一筋縄ではいかぬ俳優たちの競演を楽しむ……


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三谷幸喜監督の映画は、かなり見ている方だと思うのだが、
このブログにはレビューを一度も書いていない。
なぜか?
それは、私の極私的問題なのであるが、
三谷幸喜監督作品とは、あまり相性が良くないからだ。
三谷幸喜監督作品を見て思うのは、
〈この人は、少年時代に、ほとんど外で遊んでいないのではないだろうか……〉
ということ。
映画には、その作品を演出した監督の人生そのものが映し出される。
映画を見れば、監督がどのような人生を歩んできたが判る。
三谷幸喜が実際どのような人生を歩んできたかは知らないが、
少なくとも、少年時代に、家の外(山や野原や海など)で遊んでいなかったことだけは判る。
なぜなら、映画の中に、風景描写がほとんどないからだ。
たまに風景描写があっても、箱庭的なもので、まったく広がりがない。
それは、三谷幸喜自身が、自然に身を浸したことがなく、
本当の意味での自然を知らないからだと思われる。

自然を知らなくても、舞台の演出なら問題はない。
スタジオにしろ、ホテルにしろ、官邸にしろ、
閉ざされた空間での勝負だからだ。
だが、映画となると話は別だ。
舞台をそのまま映画にしても、映画にはならない。
映画には、無限の空間が広がっているからだ。
その空間を有効利用していない作品は、
舞台の実況中継とは言えても、映画とは言えない。
ここに映画の難しさがある。

私の場合、約2時間の上映中に、
“一瞬の映像の煌めき”があれば、その映画を映画として認めることにしている。
“一瞬の映像の煌めき”を言葉で表現することは難しいが、
風に揺れるススキであったり、
海に沈む太陽であったり、
雨に濡れる木々であったり、
日向ぼっこしている猫であったりする。
それは、その作品においては、無駄なシーンであることが多い。
だが、この一見無駄に思えるシーンが、作品全体を支配することもある。
神は細部に宿るのである。

三谷幸喜監督作品には、この無駄なシーンがないのだ。
“一瞬の映像の煌めき”がないのだ。

開高健は、かつてこう言ったことがある。

他人さまの作品を判断するボクの基準は、実に簡単です。とくに新人賞、芥川賞の選考のときもそうだけど、ボクは作品中に一言半句、鮮烈な文句があればもう充分だというのが私の説やね。一言半句でいいんだ。ところが、これが実にない。数万語費して一言半句でいいんだ。その人の将来性、賞をもらって修練すれば、獲得されるだろう魅力、あるいは修練しなくても、それ以前のもう手のつけようのない才能の鉱脈、こういうものはその一言半句に現われているものです。(1979年5月8日「週刊プレイボーイ」)

私の言う“一瞬の映像の煌めき”は、
開高健の言う“一言半句”に当たる。
三谷幸喜監督作品は、セリフも構成もきっちりしている。
無駄がない。
舞台やTVドラマではこれでイイのだが、
映画では駄目だ。
無駄なシーンこそが命なのだ。
そこに監督の個性が現れる。
だから、三谷幸喜監督作品の鑑賞後に、語るべき言葉がなかったのだ。

〈三谷幸喜監督の新作『記憶にございません!』も同じような作品であろう……〉
と予想しつつも、
〈もしかして……〉
という期待もあって、
公開初日に、いそいそとまた映画館へ向かったのだった。

病院のベッドで目が覚めた男(中井貴一)。
一切の記憶がない。
病院を抜け出し、ふと入った食堂のテレビのニュースに自分が映っていた。
演説中に投石を受け、病院に運ばれている首相。
そう、なんと、自分はこの国の最高権力者・黒田啓介で、
石を投げつけられるほどに……すさまじく国民に嫌われていたのだった。

街を彷徨っていた啓介は、
職務熱心な警官(田中圭)に助けられる。

各大臣の顔や名前はもちろん、
国会議事堂の本会議室の場所、
自分の息子の名前すらもわからなくなってしまった啓介は、

金と権力に目がくらんだ悪徳政治家から、善良な普通のおじさんに変貌してしまっていた。

そのことを知るのは、
首相秘書官・井坂(ディーン・フジオカ)、
事務秘書官・番場のぞみ(小池栄子)ら、数人のみ。

「あなたは、第127代内閣総理大臣。国民からは、史上最悪のダメ総理と呼ばれています」
ショックを受ける啓介だったが、
国政の混乱を避けるため、
啓介が記憶を失ったことはトップシークレットとなる。
秘書官たちのサポートにより、なんとか日々の公務をこなしていったが、
記憶にない件でタブロイド紙のフリーライター(佐藤浩市)にゆすられたり、

野党第二党党首(吉田羊)にホテルで迫られたり、

〈オレはこれまで一体何をしていたんだ?〉
と混乱するばかり。
こんなときに、よりにもよって、
米国初の日系女性大統領(木村佳乃)が来訪。

記憶喪失前は、英語はもちろん、数ヶ国語が堪能であったらしいが、
今はまったく記憶にない。
それでも、首相秘書官・井坂のアドバイスで、
「me too」を繰り返し言うことで、なんとか乗り切る。

過去の記憶がないことで、
結果的にあらゆるしがらみから解放されて、
真摯に政治と向き合うこととなった啓介は、
本気でこの国を変えたいと思いはじめようになるのだった……

基本的に、これまでの三谷幸喜監督作品と同じであった。
大いに楽しませてはもらったのだが、
〈これははたして映画だろうか……〉
と、またもや思ってしまった。
そのまま舞台にしても変わりないような作品であったし、
映画としての一言半句がなかった。

ただ、個性ある出演者の一人ひとりを見ているうちに、
様々な思いがこみ上げてきて、
映画を見ながら、いろんなことを考えてしまった。

〈何を見ても何かを思いだす……〉

作品を……というより、
出演者一人ひとりをピックアップし、論じれば、
これはこれで映画レビューになるのではないかと考えた。
で、三谷幸喜監督作品の初レビューを書いてみる気になったのだ。

主人公の記憶喪失の総理大臣・黒田啓介を演じた中井貴一。

記憶を失うという設定は、
昨年(2018年)放送された中井貴一主演のTVドラマ『記憶』を思い出す。

勝つためなら手段を選ばない敏腕弁護士(中井貴一)には、
15年前、幼い息子をひき逃げ事故で亡くすという悲しい過去があった。
その後、妻(松下由樹)とは離婚し、
再婚した妻(優香)と新たな家族を持ったが、
家庭を顧みずに仕事に専念する日々を送っていた。
そんなある日、親友の脳外科医から、若年性アルツハイマーと診断され衝撃を受ける。
以来、仕事を続けながらも改めて家族と向き合い、
未解決のまま葬られた息子のひき逃げ事件の真相解明に乗り出すが、
思いもよらぬ真実が徐々に紐解かれていく……

という物語。
韓国で放送された連続ドラマ『記憶〜愛する人へ〜』を、
フジテレビとJ:COMの共同制作によって日本版としてリメイクした作品であったが、
とても感動する物語で、毎回欠かさず観ていた。
だから、同じ“記憶を失う”という設定の本作『記憶にございません!』にも期待するものがあった。
タイトルからしてコミカルな物語であろうことは想像できたが、
これが、シリアスだったTVドラマ『記憶』とは真逆とも言える好対照の映画で、
TVドラマを思い出しつつ、大いに楽しませてもらった。
私が映画『記憶にございません!』に好印象を持ったのには、
主役を中井貴一が演じていたということが大きく影響していると思った。

総理を支える怪しい首相秘書官・井坂を演じたディーン・フジオカ。
2015年に、NHK連続テレビ小説『あさが来た』にて五代友厚役を演じ大人気となり、
その後も大活躍しているが、
私にとっては、
『坂道のアポロン』(2018年公開)での桂木淳一役と、
『空飛ぶタイヤ』(2018年公開)での沢田悠太役が印象に残っている。
クールで、カッコイイ役が多いが、
本作『記憶にございません!』では、
総理大臣・黒田啓介の妻・聡子(石田ゆり子)と不倫をしているという首相秘書官の役で、
最初は狡猾な男という印象であったが、
次第に、それだけではない……という変化を見せる(魅せる)。

総理の訳ありの妻・聡子を演じた石田ゆり子。

大好きな女優なので、見ているだけで幸せな気分になる。
男は(三谷幸喜も含め)全員「石田ゆり子」が好きだと思う。(コラコラ)
彼女をキャスティングすること自体、反則技である。

『マチネの終わりに』(2019年11月1日公開予定)も控えており、
原作となる平野啓一郎の長編小説(レビューはコチラから)も感動作だったので、
大いに期待し、楽しみにしている。

白いスーツの野党第二党党首・山西あかねを演じた吉田羊。
吉田羊も大好き女優なので、見ているだけで幸せな気分になった。
大人の男は(三谷幸喜も含め)大抵「吉田羊」が好きだと思う。(コラコラ)
政界では、総理大臣・黒田啓介を厳しく追及する野党第二党党首だが、
裏では黒田啓介と不倫しているという役で、
吉田羊ならではの巧い演技で魅せる。

吉田羊は、中井貴一とは浅からぬ縁があり、
無名時代の吉田羊が、
2008年に出演したNHK連続テレビ小説『瞳』で看護師役を演じていたとき、
患者役の西田敏行とのアドリブを交えた軽妙な掛け合いが、
当時ドラマ『風のガーデン』の撮影期間中にたまたまテレビを見ていた俳優・中井貴一の目に留まり、
中井自ら「この女優は誰?」と朝ドラのチーフプロデューサーへ電話で問い合わせたという。
それから間もなく『風のガーデン』のプロデューサーから事務所に連絡があり、
既にキャスティングが完了していたにも関わらず、
端役ながら新たな役を作って同作品に起用されることになった……といういきさつがある。

さらに中井は、
自ら出演する三谷幸喜作・演出の二人芝居『グッドナイト スリイプタイト』へ吉田を招待し、三谷へと引きあわせている。
吉田羊がブレイクするきっかけを作ったのが、中井貴一なのだ。

その後、中井貴一とは、
『グッドモーニングショー』(2016年10月8日公開)で夫婦役を演じたりしているが、
本作『記憶にございません!』では、
政敵でありながら不倫関係でもあるという(笑)面白い設定で楽しませてくれる。

熱き事務秘書官・番場のぞみを演じた小池栄子。

彼女がグラビアアイドルから女優に転身した頃、
〈女優をナメてるのか……〉
と思いつつ出演作を見ていたのだが、
『接吻』(2008年)で度肝を抜かれ、
『パーマネント野ばら』(2010年)で感嘆し、
『八日目の蝉』(2011年)で素晴らしい女優であることを確信した。
今では好きな女優の一人であるし、
出演作はなるべく見るようにしている。
本作『記憶にございません!』では、かなり重要な役を演じているが、
安心して見ていることができた。

マイペースな官邸料理人・寿賀さんを演じた斉藤由貴。

この官邸料理人も、各シーンで重要な役割を果たす。
斉藤由貴は、若い頃はそれほど好いとは思わなかったが、
40代以降、すこぶる良くなった。
特に、スキャンダルを経た50代の現在が、
最も輝いているのではあるまいか?

これら俳優たちは、
三谷幸喜作品の常連であったり、
三谷幸喜のお気に入りの俳優であったりするのだが、
三谷幸喜におもねっているようで、かつてはちょっと軽蔑していた。
だが、あるときから、少し考えが変わった。
これら俳優たちは、むしろ、三谷幸喜を利用しているのではないだろうか……と。
よく考えてみると、いずれも一筋縄ではいかない俳優ばかりであり、
三谷幸喜のステレオタイプのキャラクターを、
三谷幸喜好みの演技でこなしつつも、
それだけではない演技を、そこかしこに挿入している。
中井貴一や吉田羊には、特にそれを感じる。
ここまで書いて判り、確信した。
〈三谷幸喜は利用されているのだと……〉

こう考えて、その他の俳優たちを眺めると、
政界を牛耳る邪悪な官房長官・鶴丸を演じた草刈正雄も、

総理をゆする謎のフリーライター・古郡を演じた佐藤浩市も、

米国初の日系女性大統領・スーザン・セントジェームス・ナリカワを演じた木村佳乃も、

職務熱心な警官・大関平太郎を演じた田中圭も、

あこぎな建設会社社長・小野田を演じた梶原善も、

実にしたたかに思えてきた。
三谷幸喜に利用されているように見せかけながら、
三谷幸喜を利用しているのだと……

誰だか判らなかった、
総理の恩師・柳友一郎を演じた山口崇。
1936年11月17日生まれの82歳。(2019年9月現在)
「木下恵介劇場・木下恵介アワー」
「肝っ玉かあさん」シリーズ、
「日曜劇場」
などで活躍していた頃が懐かしい。

夜のニュースキャスター・近藤ボニータを演じた有働由美子。

〈この人、誰?〉
と思いながら見ていたのだが、
エンドロールを見て、ビックリ。
ポニータという役名から、ラテン系の国の人と日本人のハーフかなと思っていたが、
有働由美子だったとは……

総理の妻・聡子(石田ゆり子)の兄・鱒淵影虎を演じたROLLY。

この人がスクリーンに現れたときも、
〈この人、誰?〉
と思ったが、
エンドロールを見て、ビックリ。
まさか、まさかのROLLYであったとは……

こういった驚きも交えつつ、
(なんやかんや言いながら)
本作を楽しませてもらった。
〈こんなの映画ではない!〉
と思いつつも、
三谷幸喜監督作品を何かと気にかけ、
毎回鑑賞している私は、
〈ある意味、三谷幸喜のファンなのかもしれない……〉
と思えてきた。(笑)

締まりのないレビューになってしまった。
映画館で、ぜひぜひ。
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